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魔法少女まどか☆マギカ 第8話

(ダブクロトレーラー風)

昨日と同じ今日,今日と同じ明日,世界は同じ時を刻み変わらないように見えた.だが,人々の知らないところで世界はすでに変貌していた.
魔法少女を喰らう魔女,魔女を喰らう魔法少女.絶望の輪廻の中,たったひとつの願いを支えに,すべてを護り気高くあろうとした少女がいた.憎悪と悲嘆が交錯する世界で少女は如何にして歪み,何を選択したのか.

魔法少女まどか☆マギカ第8話「あたしって,ほんと馬鹿」

ダブルクロス,それは裏切りを意味する言葉.

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さやかがジャーム堕ちする直前の泣き笑いがすごかった.あそこまで胸の締め付けられる表情をアニメで見たのは本当にいつぶりか.そんでもって次はいつになってしまうのか.大したことのない一枚絵かもしれないけれど,万感があった.

本作に限らず,登場人物が壁にぶつかって思い悩み,精一杯を選択していく様子に心うたれる.そういう「鬱展開」の渦中にいる登場人物は往々にしてろくな選択をしないんだが,それでも.

魔法少女まどか☆マギカ 第7話

「何もかも奇跡の正当な対価と言い張るだけ」「感謝と罪悪感責任を混同しないで」「これから釣銭を取り戻していこう」この自然かつストンと腑に落ちるハードボイルド,これこそが虚淵節!

いやー,今回も大変鬼畜なお話でしたね(満面の笑みで)

ひとみの様子を見てると本当に京介を慕っているというよりは,煮え切らないさやかを焚きつけようとしてるだけのようにも思える.根拠はそのほうがよりさやかが可哀想になるシナリオになるから.

小さな善意が一つ一つすれ違ってひとりの人間を着実にぶっ壊していくあたりが実にいい趣味してやがると思う.うつ病患者に周囲の人間が良かれと思って「頑張れ」連呼するみたいな.必要なのは善意じゃなくて理解だけど,患者も治療例も多いうつ病と違って魔法少女はそうそういないからどうしようもない.

ジャンヌ・ダルクがそうであるように,誇り高い聖女をめちゃめちゃにするお話には一定の人気がある.それをストレートにやるとエロゲになっちゃうけど,そこをより陰湿かつ執拗につくとこういうアニメになる.顔はだめだよお腹にしなよ,ああ最近はお腹もまずいから心にしとくか,的な.

正義感,公共心,規範意識,自罰的傾向の強い女子中学生.それを惚れた男のために身売りさせた挙句「私は汚れてしまったから彼に抱かれる資格はない」と自身の口で言わせるアニメ.こんなアニメがカタギなわけがない.くそったれた前時代的男女観の歪んだ表出であり,臆病な獣どもの慰みものだ.「魔法少女」が寄り添うことを求められる価値観の対岸にいるアニメと言っていい.

故に「『まどか☆マギカ』の展開が好きです」って言うのは「俺はクズです」って吐露するのに近いところがあるように思えて,胸をはって言うべきことじゃないように思えもする.

だから私は主張する.

俺はクズです!!「まどか☆マギカ」が大好きです!!

まぁ,あれだ.シャフトのスケジュール管理のまずさがいよいよ出てきてるんでちょっと心配.

俺の案件がこんなにデスマーチなわけがない

※この物語はフィクションですが実用的なアンチパターンになる可能性があります

俺「この実装だとAというケースでトラブルが起きる可能性がありますけどそのへん大丈夫ですか?」

相手「大丈夫です」

(数日後)

相手「こちらもこういう実装になりそうです」

俺「スケジュールも考えると確かにその方向で進めるのが良いですね.ただしAというケースでのトラブルに注意してください」

(さらに数日後,Aというケースでトラブルが発生)

相手「Aというケースでトラブルが発生するという前提でこの実装にOKをもらったと思ったのですが」

俺「えっ?」

相手「えっ?」

魔法少女まどか☆マギカ 第6話

なんかもう,やばいくらいにはまっている.深夜アニメってほんとうにいいものですね.
語りたいことが多すぎてぜんぜん焦点が定まらないので,視聴後2時間分の思いをとりとめもなく書く.

「正しさ」にまつわる話:

前半部,「正しさ」に歪められるさやかがとても良かった.
身近な人間を救いたいという極めて素朴で正しい思いが,もう少し広く人を救いたいという思いに変わり,その領域での衝突が敵意を産み,敵意はやがて自分に協力しない人間に対しても向くようになる.まどかに対して放たれる,あなたの身近な人がどうなってもいいのか,という殺し文句はなかなかのもの.
さやかは現状,実に「正しく」てリアルで危なっかしいイデオローグだ.ただ,もう少しゆっくり,追い詰められて先鋭化していく描写があっても良かったかなと思う.今のままではその経過はリアルと言うにはちょっと一足飛びな感がある.

「正しさ」を積み上げて破局へと向かうさやか,そしてそれを心配するまどかに対するまどか母の「間違えればいい」という答え.これもまたカウンターとして素晴らしい(好みを言えば,こちらのほうがほっとする,好きな考え方である).
まどかはこの母のアドバイスに従い行動した.さやかの命を救おうとして,さやかの命を奪ったのだから,まどかの試みは致命的な失敗(文字通りの意味で)のように見える.だが,ほむらの尽力でさやかは復活し,魔法少女に関する重大な情報が開示された.これによりさやかと杏子の破滅的な対立構造が揺らぐ余地が出てきた.冷静に考えてみればまどかの望みはかなっている.
その代償がどういう形でまどかにふりかかるのかはわからないけれど,今後が楽しみである.

スパルタンな設定にまつわる話

終盤で明らかになった魔法少女ソウルジェムに変質させられているという設定,これも大変に面白い.怪物とドンパチやる魔法少女にとって,都合のいい肉体を考えるとたしかにそうなる.この無慈悲なまでの合理主義とカタギじゃなさが実に兵器っぽくて良い.仮面ライダーだよこれ.

さて,この設定が明らかになるシーンでキュゥべえの発した「魂の在り処をどうしてそんなに気にするのか?」という問いは結構本気で考えると大変な問題だ.
ただ,「魂を肉体の外に移す」ことへの忌避感だけは染み付いている.その忌避感への無関心が,キュゥべえが人間とは違う種であることを端的に表しててぐっとくる.このあたりの断絶は萌える.

精神と肉体の分離はサイバーパンクの本質の一つであり,「精神と肉体の分離を行った個人はその前後で変わらず同じ人間であるか? また,前の問いは本人にとって,あるいは近しい人にとってどう処理されるか?」という話は「鬼哭街」でも一度なされていたように思う.この問題が今後どう取り扱われるか,非常に楽しみである.

余談

中盤で杏子がさやかを挑発するシーン,さすがだと思った.「これ言われたらキレていいわ」感が「Phantom」第三部の玲二とキャルのやりとりを思い出させる.ここまで他人の地雷を正確に踏み抜いているといっそ清々しい.

また,ほむらが未来から来た(願いが時間移動だった)説はかなり信憑性が増したように思う.ワルプルギスの夜を予期していたりとか,能力が時間停止系なところとか.キュゥべえが「極めつけのイレギュラー」とほむらを評したのも未来に契約し過去に戻ったのだとしたら当然.

魔法少女まどか☆マギカ 第5話

まどか☆マギカ」を見てるとダブクロやりたくなってくる(挨拶)

正直言って,さやかが死ぬんじゃないかとヒヤヒヤしながら見てた.3話4話はメタを読んで「死亡フラグ!」「鬱展開!」と騒いだりしないと暗い気分になる展開だったが,メタに逃げずにきちんと見ようと思った.

音楽についていままで触れなかったけど,梶浦由記成分が全開.「エル・カザド」以来,久々にその良さを抱きしめながらアニメを見ている気がする.特に喫茶店でのシーンが素晴らしかった.淡々と掠れたことを言うほむらとその裏で流れる抒情的な音楽の組み合わせがもうね!

あの喫茶店のシーンはまどかのことを欝陶しいと思わせるためのシーンであったようにも思う.まどかが決断力に欠け,逃避癖があって,無知で,怯懦で,夢想家.嫌な言い方をすれば「子供」であるってことを嫌ってほど思い知らされた.だけれども,パトロールに出るシーンでそんなまどかがさやかの目に「足手まとい」とともに「日常のよすが」としても映ってると思うと,なかなかその複合にキュンキュンくる.

本当はもっと考察とか展開妄想とかしたいけど,中学生みたいなナイーブな感想文しか出てこないんだなこれが.