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Twitterで書くと早口すぎて気持ち悪くなるとき用

2014年のアニメ(のセリフ)個人的ベスト3

クッソ忙しい中、アニメも見ずに週一で艦これ怪文書を書くだけの一年だった。

あと、今年は気に入ったセリフベスト3にしました。主に姫様と霜月ちゃんのせいで。

1位:「お前が死ねぇーーっ!!」(「クロスアンジュ 天使と竜の輪舞」3話より)

理不尽に耐えてもまた理不尽が来たらキレるしかない。
それでもキレちゃいけないときは?

やっぱキレちゃうよね!精神修養が足りておらず申し訳ございません!疑いようもなく!

だからこの手のCurse wordsは声に出して読みたい日本語なのだ。声に出してはいけないけれど、声に出さねば意味が無い。

2位:「仁↑義↓ってやつ?」(「楽園追放 ーExpelled from Paradiseー」より)

相手が不利益を被ってまでやってくれたことに対しては、同様の心意気で答える。

自分はそれは基本的に良いことだと思うけれど、無条件には賛成出来ない。それが悪いとか社会を憎んでいるとかそういうのではなく、あまりにも強力だから怖くなってしまう。(自分の払った犠牲を受益者も払って然るべき、っていう地獄はこの考え方と「自分はそうするんだからそうしろ」という単純かつ強力なロジックで補強されることが多い)

だけれど、この考え方を「仁義」の二文字に落とすと、非常にスッキリする。

自分は今、望んで不合理を受け入れ浪花節をやっている。自由意志の名のもとに、合理性とか整合性とか正しさとか、そういうのを一旦棚上げして思うまま他者のために振る舞おうとしている。ゆえに必ずしも自分の行動は肯定されるべきではない。

そういう思考のスイッチに、この古臭くて露悪的な響きさえある「仁義」という言葉はしっくり来る。

登場人物が心情を合理化して行動を肯定する方向に持って行こうとするプロセス/ロジックが、虚淵玄が段取りくさいとか理詰めだとか言われる理由だろうし、水が合う作家だと思う理由でもある。

3位:「私、この社会が大好きですから!!」(「PSYCHO-PASS 2」11話より)

何をされても曲がらず折れない常守ちゃん vs. どこまでも曲がるから折れない霜月ちゃん

この対戦カード、主人公の格として考えれば勝敗はもう火を見るより明らかなんだけれど、それがなんだっていうんだ…… 適応する奴が最強だってダーウィンおじさんも言ってたんや…… 君子豹変す なんや……

霜月ちゃんはそういう意味で一本筋の通った脇役なので好きです。大好きです。でも一緒に仕事はしたくないです。

2013年のアニメ個人的ベスト3

仕事と艦これ以外何やってたか思い出せないマン(記憶力低下

1位:ラブライブ!

ここ二年くらいはおおまかに言ってアイドルアニメの年であった.その中でもひときわ時めいているもののひとつが「ラブライブ!」であろうと思う.

部活ものアニメのど真ん中,努力・友情・勝利の原則に従い,特訓して,仲間を集めて,競い合い,すれ違い,支えあいながらもスターダムにのし上がっていく.実にストレートで情熱に満ちた(でも,平坦ではない)躍進の物語.憂鬱な日曜の夜,その光り輝くエネルギーに元気づけられたことも一度ならずあった.

アニメ本編のみならず,ラブライブ!という企画自体を取り巻く流れもまた物語に満ちたものだった.掲載誌こそシスプリで名を馳せた読参の名門ながら,最初は無名に近い読者参加企画.最初のCDの売上は3桁,そんな中で地道にファンを増やし続けて,最後に大ブレイクしてSSAを二日間埋めるコンサートを開催するに至る.その躍進の物語がどうしても本編とオーバラップして,二重に強く心を動かされた.

ファンの皆様,本当におめでとう.

2位:戦姫絶唱シンフォギアG

王道,つまり既知のパターンの集合であること,の威力,これが生かされてる作品のひとつがシンフォギアGであると思う.

これだけ無理・無茶・無謀の三無主義を魅せつけつつも,エンターテイメントとして踏みとどまっているのは,ひとえに「なんだかんだあるが大団円に向かって進んでいる」物語をやってるんだと理解できるようになってるからであると思う.

ヒロインが悪漢にさらわれて5分でヒーローが助けにきたら「いくらなんでも早すぎるよ!?」とは思うけれど,助けにこない話よりは受容しやすい.だから,バッドエンドは丁寧に計算高くやらねばならない.でも,ハッピーエンドにはその制約がない.だとしたら,その分のリソースを速度と趣味につぎ込むことができる.

その結果がこの満艦飾だよ!

第3位:キルラキル


キルラキルを褒める奴はおっさんだ.褒めない奴はよく訓練されたおっさんだ.私はおっさんになどなりとうなかった.

その他

劇場版なので除いたけれど,叛逆の物語はよかった.これのせいで私の中で今年の漢字は「愛」になった.最短時間経路をたどった光のみが屈折した光として残されるように,ほむらの屈折した愛も苦境の中で最善を目指して進み,残された光なのだ.闇色に輝いて見える.

また,去年の作品だが,ガルパンもこれまたポジティブな躍進の物語で元気づけられた.1Qはガルパンラブライブ!で得た仮初めの気力を灰色のデスマーチの中に溶かし続けるだけの人生だった.

海軍E-7反省会,なのです

艦これのゲームメカニクスが抱える矛盾が生む「運ゲー」という批判 - 絶賛墜落中の空中遊園地

を読んでだいたい正しいと思ったんだけど,自身の肌感覚を支離滅裂に書き散らしたいという欲望に耐えられなかった.

まず,艦これのリソースは時間(実時間およびプレイ時間)に還元できます.人間はいつか死ぬので,すべての無限にリトライ可能な運ゲーは時間ゲーとも言えるのです.

これにより,用意されたステージをクリアするという意味での艦これの遊び方(これを以降,サブゲームXと呼称します)は時間をいかに効率よく中間生成物(資源,艦娘,装備,ゲージ)に変換しステージクリアに繋げられるか,これに尽きると言えます.そこでなされる判断を体系的に組み上げる営みが,サブゲームXというゲームです.

しかしながら,そこで「試行あたりのステージクリア率を向上させる施策」が「試行回数の増加施策(=単純な出撃)」よりも時間効率に劣る状況に追い込まれた or プレイヤーがそう思い込んだ段階でサブゲームXの楽しさは死ぬことがあります.
死にました.自己効力感を自ら捨て去ったらそりゃつまらなくなる.「手続きが定義されてるならそれを実行するのは私の仕事じゃないでしょ?」という上流SEめいた妄念に囚われるのがサブゲームXのゲームオーバー(の一つの形)です.

サブゲームXの一種である期間限定イベントの場合は

  • プレイ時間が限定されている
  • イベント向け備蓄というメジャーな戦略を取る限り中間生成物の枯渇が起きにくく選択肢が限られてくる

という理由でこの局所最適めいたドツボにはまりやすいのだと思われます.

ここからは懺悔となりますが,私は自分で艦これを,正確にはサブゲームXをつまらなくしてしまったのです.試行回数というイデオロギーがアカンかったのです.局所最適の陥穽に気づかぬまま矢矧掘りに走った不明がアカンかったのです.矢矧掘りはサブゲームXの要件を満たさないような気がするけど,とにかくアカンかったのです.

なお,艦これはサブゲームXでないサブゲームを含んで楽しくあります.嗚呼,二航戦かわいい.

どうして自称功利主義者のくせにアニメの有効利用に牙をむくんだこいつは……

功利主義者じゃないからです→(結論)

(アニメに学ぶなんたらかんたら,というものがむかつく理由に関する自分語り)

自分の場合,前提として,娯楽や芸術において実利的な価値はメインたりえず作品そのものの価値が一番重要なのだという教義を信じている.

お気に入りの作品をNo-butで語るのも,その作品にはそれ自体価値があり,それ以外の要素で毀損されたりはしないのだということを強調し,その作品が最上位の価値を持つのだと言いたいがため.

これは多分に「こんなにクソの役にも立たないものにどうして入れあげるんだ」という内在化された世間への反発という側面を持つ.
また,それ以外の部分で実用第一主義的な立場をとる自分との整合性を保つための理論武装でもある.

で,こういうレトリックのもとで発言することに慣れきってしまっているから,(それがたといプロレスであったとしても)実利的な価値を強くプッシュされると「あれ?作品そのもの価値には言及しないのかな?」と思ってしまう.

めんどくさいよね.気持ち悪いよね.

流れよわが涙,とエクセル方眼紙マンは言った

【雑談】運が7割。選択が1割。残りは努力。
http://d.hatena.ne.jp/sho322/20130209/1360373193

読んで,黙っていられなかったので書き散らす.自分の言ってることは業務基幹系のドメイン限定かもしらん.

要件を制限すればプログラムはシンプルになるんだけど,一定以上の図体を持った基幹システムの開発でそれをやるには相応の理解と調整が必要になる.それを軽視すると,いかに優秀な実装者を以てしても混沌としたシステムが生まれる.

システムの価値を落とさず設計を美しく保つためには,"Keep it simple stupid"を貫くためには,コードを書く以外の作業も必要になる(そして一定以上の規模のシステム開発においてはそれは専任の人間を必要とする量に達する)のだとわかってほしい.当然だけれど,ステークホルダーたちが皆システムの都合ですからと言われてハイそうですかと引き下がってくれるわけではない.

中小規模のプロジェクトに関わるプログラマは割と声がでかいと思うので,大規模プロジェクトで上流をやってる人間にもっともっとソフトウェアエンジニアリングを語ってほしい.無謬からはほど遠くあれども,上流の人間は技術に疎いだけの人間ではない.

雑感

実名報道の件で一部記者がその他世間大勢と違う判断をしており非難にさらされているわけだが,どうしてそこまで判断基準が違ってしまったのだろう,と思う.

○○ムラではないが,属する集団によって個人の判断基準が変わっていくのは当たり前で,故に,誰しも特異な判断基準をもってしまっているはずである.だとすれば,自分が知らず知らずのうちにドライブされている「現場の論理()」とはどのようなものなのだろう?

そして,どうすれば「現場の論理()」は強く/弱くインプリントされるのだろうか?個人の判断基準を「平均的な」それから乖離させてしまう集団の特性はなんなのだろうか?

自分は,新聞記者の給与を牛丼屋のアルバイトと同じまで下げても,新聞記者が牛丼屋のアルバイトと同じように考えるようにはならないような気がしている.似たような給料をもらっている営業と話してさえ,著しい価値観の違いがある.

ビビッドレッド・オペレーション 第1話,第2話

元来ミリタリ要素と美少女キャッキャウフフは両立しない.

一定以上の受容可能性を提示しつつ戦闘美少女ものをやってる作品を顧みると,キャラを犠牲にして「ああ,これは美少女だろうとゴミクズみたいに死ぬんだなぁ」と思い知らせるか,死とそれに起因する要素を犠牲にして「現実じゃないから仕方ない」と思い知らせるか,
の両極があるように思う.

「リアリティ」はあるとかないとかいうよりもおそらく安定していることが重要である.
力量もないのに無理に戦闘と美少女を両立させようとすると,美少女ほのぼのグロが酷い,どいつもこいつも二重人格,というWeb投稿ラノベのごときリアリティ無残を晒すことになる.

吉野弘幸という脚本家は上手い下手は別として意欲的にこのド中央に広がる地雷原を疾駆しようとしてる節がある.ほんとうにもう,舞-HiME以来.